LIFE No.07
患者さんやその家族にしっかり寄り添い
すべての命に真摯に向き合うハートライフ病院。
今回のドクターズ・スペシャルトークは産婦人科をフィーチャー。妊娠や分娩などの周産期や婦人科腫瘍、生殖内分泌、更年期のヘルスケアなど、女性の一生を通したさまざまな領域があります。特に分娩では、産婦人科医と助産師、看護師が連携し、協力しながらチームで医療を行います。自身の初期臨床研修時代や新人時代、子を持つ親としての経験を含め、小さな命に真摯に向き合う姿には胸が熱くなります。
LIFE No.7
患者さんやその家族にしっかり寄り添い、すべての命に真摯に向き合うハートライフ病院。
今回のドクターズ・スペシャルトークは産婦人科。
妊娠や分娩などの周産期や婦人科腫瘍、生殖内分泌、更年期のヘルスケアなど、女性の一生を通したさまざまな領域があります。特に分娩では、産婦人科医と助産師、看護師が連携し、協力しながらチームで医療を行います。自身の初期臨床研修時代や新人時代、子を持つ親としての経験を含め、小さな命に真摯に向き合う姿には胸が熱くなります。
Member Profile
宮崎 優樹 医師
長崎県出身。33歳。琉球大学医学部卒。2018年、ハートライフ病院初期臨床研修修了。同年4月より友愛医療センターにて産婦人科専門研修プログラムに所属。同年4月~2019年5月、ハートライフ病院にて専門研修を行う。2019年6月~2020年12月、友愛センターにて専門研修を行う。2021年1月~3月、ハートライフ病院にて専門研修を行う。同年4月、ハートライフ病院産婦人科へ入職。日本産婦人科学会専門医。医師7年目。既婚で2児の父。
比嘉 博香 医師
北谷町出身。33歳。琉球大学医学部卒。2016年3月、ハートライフ病院初期臨床研修修了後、同年4月、産婦人科へ入職。2018年7月~12月、山口大学附属病院産婦人科にて研修。2019年1月、ハートライフ病院産婦人科勤務。日本産婦人科学会専門医。医師9年目。既婚で現在、第2子妊娠中。2023年3月頃より、産休および育児休暇を取得する予定。
我那覇 美帆 看護師
埼玉県出身。45歳。2000年3月、国立東京医療センター附属東岡看護助産学校看護科卒業。2001年3月埼玉県立大学短期大学部助産学専攻科卒業。同年4月、国立成育医療センター(旧国立大蔵病院)入職。同院退職後、2005年9月よりハートライフ病院入職。2022年4月より師長に就任し現在に至る。既婚で4人の子を持つ母。
「この病院で産婦人科医になりたい」初めてそう思ったのがハートライフでした
――――今日はご自分の研修医時代や新人時代を振り返っていただき、現場で感じたことなどを気軽にお話いただけたらと思います。初期臨床研修でハートライフ病院を選んだ理由や入職を決めた経緯などを教えてください。
ハートライフを初期研修先に選んだのは、まずは家から近かったからです(笑)。
え?本当ですか(笑)。でも近さも大事ですよね(笑)。僕はハートライフの規模とか研修医の数とか、バランスがちょうどよかったからです。すごい症例もある程度経験できるし、当直明けも考慮してもらえてしっかり休める。全体的にいいなと思いました。
私は元々放射線科志望だったんですけど、研修医2年目の時にハートライフ病院の産婦人科を回ったら、想像よりずっと楽しかったんです。ちょうどテレビドラマで産婦人科医が主人公になった「コウノドリ」も人気で憧れもありましたね。
僕は初めは整形外科や形成外科を考えていたんですが、そんな時に研修で知り合いになった大学の2つ上の先輩である比嘉先生に「産婦人科に来ない?」と誘われたんです。
そうそう。誘ったね。産婦人科の先生をなんとか増やしたいと思って。あとは、私が産婦人科医を選んだ年は産婦人科志望は県内でも2、3人しかいなくて、「産婦人科医の方が病院から必要とされるはず」という思いもありましたね。
最終的にどこにしようか悩みましたが、産婦人科でも開腹手術のようなダイナミックな外科手術ができるなと思って。あとはやっぱり比嘉先生に産婦人科の魅力を語られたのが大きかったですね。
しぶとく誘ってよかった~(笑)。
(笑)
「家から近かったからです」というのは半分冗談で(笑)。ハートライフへの入職はここで研修を受けた時に初めて「産婦人科医になりたい」と思ったからです。学生の時に琉大や他の病院で産婦人科を見学したり研修したりしたことはありますが、その時は正直産婦人科に行きたいとは思えませんでした。
それ、わかります!僕も他の病院よりハートライフの方がなんだか居心地がよくて。産婦人科センター長の武田先生や他の先生方もみなさんすごくアットホームですよね。
そうそう。風通しがいいというか、上の先生とも話しやすい気がします。あと、私の入職時は産婦人科のドクターがとても少なくて、即戦力になれない研修医の私ですら「居てくれて本当に助かる」という雰囲気で必要とされているなと感じました。
我那覇師長は埼玉のご出身ですよね。ハートライフを選ばれたのはどんな理由なんですか?
私は沖縄に嫁いで来て、助産師として働きたいと思っていくつか病院を見学したんですけど、ハートライフが家から近かったですし、母児同室をしていると聞いて、ケアに共感できると思ったんです。
我那覇師長はどうして助産師になろうと思ったんですか?
実は中学校の性教育の時間に、本当の出産シーンを観る機会があったんです。命が生まれて来る瞬間にすごく感動したのがきっかけですね。それまではロックやファッションが好きで、一生懸命おしゃれをするような中学生だったんですけど、流行ってコロコロ変わるし、追いかけていてもきりがないって気が付いてしまって。何か普遍的に繰り返されていて価値観がブレないような仕事を求めていた時に、助産師という仕事と衝撃的に出会い、目指すことにしました。
――――研修医時代や新人助産師時代に、何か思い出深いエピソードなどがありましたら、教えてください。
救急当直の初日に救急外来を受診した患者さんの酸素飽和度がどんどん悪くなっていって、心肺停止になりそうなぐらい急変したんです。頭ではすぐに何か対応しないといけないって分かってるんだけど、何をしていいか分からないし、動けない状態になってしまって。そうしたら上の先生に「やる気がないなら帰れ」って言われて悔しくて悔しくて。帰ってしまおうかと思ったけれど、ベテランの看護師さんが「そんなことないよね、先生も頑張ってるもんね」と優しくフォローしてくれたんです。それがあったから今も医者を続けられているかもしれません。その人がいなかったら、もう帰っちゃってたかもしれなかった。
僕は初期研修中の2年目の時、夜間に救急の当直をしていたら産婦人科で生まれた新生児の容態が急変して。NCPRを行ったんですけど、結局助からなかった。やっぱりショックでした。産婦人科になろうと決めていたんですが、研修中にそんなことがあって少し気持ちが揺れました。ただ、その2年後ぐらいに、その患者さんが再度妊娠されて分娩があって。元気な赤ちゃんを見届けられました。
私は助産師になってまだ2年目ぐらいの東京時代に、心臓の発達が不十分で、生まれても助からないかもしれない胎児治療中の赤ちゃんの分娩に携わったんです。親御さんは「この子の持っている命で十分です」と希望して、帝王切開ではなく経膣分娩を選ばれました。分娩中に亡くなるかもしれないという説明もされていたんですけれど、それでも構わないと立ち会い出産をされました。そうしたら、その赤ちゃんは心音も下がらずに正常な状態で産まれて来てくれました。産声を上げないだろうと思われていたんですが、ちゃんと泣いてくれて、生後36時間ぐらいして、お母さんの胸の中で息を引き取りました。
精一杯生きたんですね
本当にそうだよね。
分娩の際に赤ちゃんの目から涙があふれていて、目が合った気がしたんです。そのことにすごい衝撃を受けて、「この子は生きたかったけど生きられなかったんだ」と思ったら、助産師の仕事をもっともっと真剣にやらなくちゃ、その子に申し訳ないって思うようになったんですね。決意を新たにしたというか。
――――みなさんそれぞれが命に真剣に向き合った瞬間があって、その積み重ねが今につながっているんですね。
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